民話 > 加賀の殿様と相沢玄伯 (姫川渓谷(大糸線))
「加賀の殿様と相沢玄伯」
 昔、昔江戸も中ごろのこと。
 糸魚川に住む医者、相沢玄伯は北陸街道一番の名医といわれ、その評判は遠く越中越後に行きわたっておったとさ。
 ある春のこと、
 加賀の殿様は参勤交代で江戸から加賀に向かって旅を続けておられたと。
 高田を過ぎ、名立に着かれ、本陣の名立寺でゆったりなさっているとまもなく

「どうも気分がすぐれぬ」

と横になられたとさ。
さあ大変、お付きの医者が呼ばれ、急いで診察してみたが熱もなく、脈もふつうであった。医者はふしんに思い二度、三度と診察してみたけん、どこといって悪い所がなかったとさ。

「殿様。脈も良いし、熱もなし、腹痛もない。どこといって悪い所がありませぬが……」

 医者がいうと殿様は、

「気分がすぐれぬ、頭が重く気がめいる」

 とくり返しいわれるとね。
それでは、ということになり別の医者にみてもらうことにしたとさ。医者はおらぬかと、あちこちさがしてみた所、北陸街道一番と評判の高い、相沢玄伯がちょうど名立へ来ていたとね。
 早速玄伯がよばれ殿様の脈をみることになった。
玄伯は、かしこまって殿様を診察してみたがやっぱり悪い所はどこといってなかったと。
しかし、殿様は相変わらず

「ますます気分がすぐれん。頭が重い」

 と繰り返しなさるとね。
玄伯は

「う~ん」

 と目をつむって考えこみ、いうたとさ。

「殿様、お体にどこといって悪い所が見受けられませぬ。が気分がすぐれぬとおおせになるからには、何かこの土地によからぬことがおきるのかも知れません。思い切ってこの土地を去られた方がよろしいかと存じます」
「うーん。成程、そういうことかのう」

 殿様はうなずかれ、早速出発の命令を出し夕暮れの道を能生に向かったとさ。
 能生の本陣、大島市左衛門の所に落着くと不思議なことに殿様の気分も良くなられたそうな。
 その夜のこと、
 名立では

「明日の朝、又早ように漁に出んならんそい、そろそろ休もうか」

 とどこの家でもねようとした頃、

「ドドドドーン」

 耳をつんざくようなすさまじい音がしたかと思うと裏山が真っ二つに割れて、山がくずれ、あっと言う間、家も田んぼも人も木も土の中に埋まってしまったとね。
 今に伝えられている名立崩れだった。
 よく朝、めざめた殿様に家来が

「実は殿様、昨夜名立の裏山が真っ二つに割れて山がくずれ、名立村はほとんど全めつしたということです」

 報告すると

「うーん、命びろいしたということか……それにしても玄伯の言葉がなければ、わしはあのまま名立で死んでおったかも知れぬ。玄伯は聞きしにまさる名医じゃ」

 加賀の殿様は大そう喜ばれ、名医相沢玄伯の名はますます高まったそうな。

いちごさかえ申した。  

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