民話 > 水保の観音 (海谷渓谷)
「水保の観音」(海谷渓谷)
 西海村、水保の十一面観音には日野資朝の一子、阿新丸にまつわる話が伝えられています。

 昔、昔のことでした。後醍後天皇のおそばに仕える、日野資朝が幕府をたおす、たくらみにひそかに加わっておったとね。

 ある時、幕府がたにそのことが知れ、資朝は流人の島・佐渡へ流されてしまったちゃんね。資朝には阿新丸という十三才になる子供がおった。

「なんとか父上に会いたいものだ…」

 阿若丸は父に会いたい一心で苦労をかさねやっとの思いで佐渡へわたりついたとね。

「私は、資朝の子阿新丸と申します。どうか父に会わせて下され。お願いにござります」

 佐渡の国司、本間山城入道にひっしに頼んだちゃん。
 だけん、本間は父に会わせないどころか、幕府に知れると事はめんどうと息子の三郎に命じ、岩ろうの中にいる資朝を殺させ、その首を阿新丸に引き渡したとね。

「うーん、なんという奴らだ。このまんまなんで帰られよう。父の仇とらいでおくものか…」

 阿若丸は仇をとるきかいを待った。
 風が吹きなり、雨がゴォーと音をたててふる夜、

「今日がぜっこうのきかい」

とばかり、阿新丸は本間のやかたへ忍び込み、ねている三郎を殺し、父の仇をとった。
 おっ手をかわし、野浦海岸にきたものの舟が見当らず、どうしたものかと思案し日ごろ信心している日吉の神をねんじ“どうか助けて下され”と祈った。
 すると不思議、どこからともなく一人の僧が舟にのってあらわれ、越後の国へ送りとどけてくれたとね。
 やがて僧はいずこともなく立去り、阿新丸はどうしたものかと空を見上げると一すじの紫の雲がすうっとたなびいておったとね。
 阿若丸は紫の雲をたよりに水保の光明院へたどりつき、大きな息をし、“疲れたわい”と横になろうとした時、さき程の僧があらわれ、

「賊が追ってきた。後の山へにげなされ」

といったとね。
 山に入った阿新丸はどこからともなく集まってきた猿にまわりを守られ、仏様に助けられている自分を感じたとね。
 僧は追ってきた賊を相手に大活やくしたが、ついに腕を切りおとされてしまっちゃんね。
 賊が去った後、阿新丸は光明院へもどり、十一面観世音に

「本当にありがたいことでした……」

 と手を合わせ、ふと見ると観音様の腕はなく、きず口からはポタポタと血が流れておったとね。

「ああー。私を助けて下された僧は、観音様であったとは……」

 再び手を合わせ、阿新丸は深くかんしゃの礼をのべた。

 それからのこと、阿新丸は父・資朝の五輪の塔の墓を作り、手あつく供ようをしたとね。
 そして、何年かたって再びこの地をおとずれた阿新丸は父のぼだいをとむらうため、沢山の金や品物を寄進した……ということです。
いちごさかえ申した。  

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