相馬御風
- 童謡「春よ来い」 ♪は~るよ来い。は~やく来い…
- 日本初の流行歌「カチューシャの唄」 ♪カチューシャ~かわいい~や、別れの辛さ…
- 早稲田大学校歌「都の西北」 ♪都のせいほぉ~く、早稲田ぁ~の…
など、一度は聞いたことのある名曲の作詞者、それが糸魚川が生んだ文人「相馬御風(そうまぎょふう)」です。 作詞家だけではなく、叙情歌人、詩人、随筆家、小説家、自然主義評論家と、文芸全般にわたって活躍しました。
■年表■
1883年 | 新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現糸魚川市)に生まれる |
1902年 | 高田中学(現新潟県立高田高等学校)を経て早稲田大学に進む |
1903年 | 在学中、岩野泡鳴らと雑誌「白百合」を創刊 |
1906年 | 早稲田大学を卒業した後、当時復刊された雑誌「早稲田文学」の編集に参加。また野口雨情・三木露風らとともに「早稲田詩社」を設立し、口語自由詩運動を進めた |
1911年 | 早稲田大学講師となる |
1916年 | 内面を告白した『還元録』を刊行し、故郷糸魚川に隠棲する。帰郷後は主として良寛の研究に携わったほか、童話・童謡も発表した |
1950年 | 5月7日に脳溢血で倒れ、翌8日死去。享年68歳 |
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