白山神社は昔に「白山権現」と呼ばれており、神仏習合時代には能生にあった古刹太平寺(現在は地名が残るのみ)の鎮守でした。
その太平寺で祭礼の際、「舞童」が華やかに舞われていたそうです。かつて舞楽が意味したものは「延年」であり、糸魚川市にある根知山寺の「おててこ舞」は今尚その芸能を伝えています。 白山神社の舞も、古くは同様に延年を意味していたと考えられています。
能生白山神社舞楽は、大阪の四天王寺舞楽を習い伝えたものと云われています。ですが今日ではその面影は少なく、異なった独自の舞へと変化を遂げました。 舞台も本来の舞楽舞台の様に石造りではなく、 水をはった池の上に設営されています。舞台の周りを囲む幕は「青海波」といい、海の上にある舞台、また、能生にある「弁天岩」を表しているように思わせます。
その背景の一つとして、能生地域が古くから「水」と関わりが深かったことが考えられます。能生地域は漁業を生業としてきており、豊漁や海上安全を 祈願したのが能生白山神社でした。 現在も「船絵馬」という絵馬があり、地元漁師などの信仰の対象となっています。
その他にも能生白山神社と海にまつわる話がいくつもあり、地域性の元独自の変化を迎えたことが伺えます。
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その太平寺で祭礼の際、「舞童」が華やかに舞われていたそうです。かつて舞楽が意味したものは「延年」であり、糸魚川市にある根知山寺の「おててこ舞」は今尚その芸能を伝えています。 白山神社の舞も、古くは同様に延年を意味していたと考えられています。
能生白山神社舞楽は、大阪の四天王寺舞楽を習い伝えたものと云われています。ですが今日ではその面影は少なく、異なった独自の舞へと変化を遂げました。 舞台も本来の舞楽舞台の様に石造りではなく、 水をはった池の上に設営されています。舞台の周りを囲む幕は「青海波」といい、海の上にある舞台、また、能生にある「弁天岩」を表しているように思わせます。
その背景の一つとして、能生地域が古くから「水」と関わりが深かったことが考えられます。能生地域は漁業を生業としてきており、豊漁や海上安全を 祈願したのが能生白山神社でした。 現在も「船絵馬」という絵馬があり、地元漁師などの信仰の対象となっています。
その他にも能生白山神社と海にまつわる話がいくつもあり、地域性の元独自の変化を迎えたことが伺えます。
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- 1:獅子舞(大人二人)
- 御輿の巡行の道を浄化するため、行列に先立って舞われます。能生・小泊地区の若衆が1年交代で舞います。
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- 2:振舞(稚児二人)
- 舞台祓いの意があり、十一舞楽の初めに舞います。圧勝の意もあり、悪魔調伏の祈りを表します。
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- 3:候礼(稚児四人)
- 白いちりめんの装束に花の天冠をかぶった舞です。いつからか、途中で新たに取り入れられた舞です。
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- 4:童羅利(稚児一人)
- 五分程度の短い舞で、稚児舞の中で唯一面を被って舞います。顔につける面は子どもには大きく、かつては大人によって舞われていたと考えられています。
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- 5:地久(稚児四人)
- 奈良時代までに中国から伝来した渤海楽の舞の一つとされますが、舞の起源や由来は不明です。前半は比較的ゆっくり、後半は軽快な調子で舞います。
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- 6:能抜頭(大人一人)
- 南方伝来の林邑楽の舞一つとされます。舞の由来の一説として、胡人が猛獣に噛まれ、胡人の子どもが獣を探し求めそれを殺す形の舞と云われ、手に持つバイは武器を表します。
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- 7:泰平楽(稚児四人)
- 装束は昔の武人が戦場に出る時のものを表しており、世の中の乱れを治め、正しき道に戻すという目出度い舞とされています。
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- 8:納曽利(大人二人)
- 一名双竜舞とも云われ、雌雄の竜が楽しげに遊び合う様をかたどったものと云われています。
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- 9:弓法楽(稚児四人)
- 頭に巻嬰冠を被り、矢を舞台で1本、帰りの橋掛りで1本放ちます。
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- 10:児抜頭(稚児一人)
- 花天冠に紫の狩衣、手に中啓を持って静かに優雅に舞います。
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- 11:輪歌(稚児四人)
- 「舞華」とも云われ、江戸時代には手に持つ花を「持花」と称しました。
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12:陵王(大人一人)
頭に動物の赤熊毛をつけ、手に中啓(扇)を持って舞います。
中国北斉の蘭陵王長恭が戦の際に柔和な顔立ちを隠す為に面をつけて出陣したという故事に基づき、「蘭陵王入陣の舞」と呼ばれます。
舞台中央で夕日を招く所作があり、「日招きの舞」とも云われています。能生白山神社舞楽の最重要とされる舞です。